根室市の納沙布岬には、いくつもの碑が建っていました。そのうちの一つが、こちらの碑です。 この日の裏側には説明書きがありました。それによると、高碕達之助という人は戦前から戦後にかけての実業家であり、政治家で、特に、晩年には、北方領土付近の日本漁船の安全操業の実現に尽力した人なんだそうです。
本土最東端の地、納沙布岬。その先端にある納沙布岬灯台から数十mほどのところに、背の高い大きな石碑が建っていました。碑には「高碕達之助先生顕彰碑」と書かれていました。 この高碕達之助先生という人は、1963 年当時のソ連との間で締結された「貝殻島の昆布協定」に全身全霊を捧げた人なんだそうです。現在も続いている貝殻島での昆布操業の道を切り開いた人なんですね。
昭和38年日ソ民間漁業協定の締結に尽くした方を顕彰する碑でした。納沙布岬灯台の近くに立つ大きな碑で、裏面に説明パネルが取り付けられていました。社団法人 北海道水産会により昭和39年に建立された碑でした。
北方領土付近の日本漁船の安全操業の実現に尽力した人
根室市の納沙布岬には、いくつもの碑が建っていました。そのうちの一つが、こちらの碑です。 この日の裏側には説明書きがありました。それによると、高碕達之助という人は戦前から戦後にかけての実業家であり、政治家で、特に、晩年には、北方領土付近の日本漁船の安全操業の実現に尽力した人なんだそうです。
「貝殻島の昆布協定」に全身全霊を捧げた人
本土最東端の地、納沙布岬。その先端にある納沙布岬灯台から数十mほどのところに、背の高い大きな石碑が建っていました。碑には「高碕達之助先生顕彰碑」と書かれていました。 この高碕達之助先生という人は、1963 年当時のソ連との間で締結された「貝殻島の昆布協定」に全身全霊を捧げた人なんだそうです。現在も続いている貝殻島での昆布操業の道を切り開いた人なんですね。
北海道水産会により昭和39年建立
昭和38年日ソ民間漁業協定の締結に尽くした方を顕彰する碑でした。納沙布岬灯台の近くに立つ大きな碑で、裏面に説明パネルが取り付けられていました。社団法人 北海道水産会により昭和39年に建立された碑でした。