妻籠宿にある光徳寺の石段と延命地蔵堂の間に安置されている。寒山拾得とは唐時代の僧「寒山」と「拾得」のこと。寒山は文殊菩薩、拾得は普賢菩薩の生まれ変わりとされる。この石仏は1984年の大地震で崩れた石垣から発見された。文政年間の作で、光徳寺の和尚の手によるもの、あるいは石切職人の手によるものと言われている。風化が進んでいるようで、彫られた姿をはっきりと見ることはできない。
唐の伝説上の二人の詩僧を描いた日本唯一とされる石仏です。石垣に使われていたものが地震で崩れて再び人の目に留まったというもので、彫は目を凝らさないと見えませんが不思議な感じを与える石仏でした。
妻籠宿の街並みにある光徳寺の石段をあがるところに安置されている石仏。となりにはお堂や延命地蔵もあります。
国内唯一とされる、石仏「寒山拾得」像が光徳寺の石段の下に安置されています。1984年の長野県西部地震で石垣が崩れ、その中から石像は発見された数奇な運命も持った石仏です。双体像は彫りが浅くなっていて見づらくなっている点は残念です。
石仏と延命地蔵のお堂がありました。 石に仏を彫り、『寒山拾得』像の説明が書かれていました。 臨済宗の光徳寺の石段がありかなり上がります。 妻籠宿は馬籠宿ほど整地されていなく自然さが結構残っています。 坂もずいぶん緩やかで平地のところもあります。 石仏と延命地蔵のお堂がありました。 石に仏を彫り、『寒山拾得』像の説明が書かれていました。 臨済宗の光徳寺の石段がありかなり上がります。
文殊菩薩・普賢菩薩の生まれ変わり
妻籠宿にある光徳寺の石段と延命地蔵堂の間に安置されている。寒山拾得とは唐時代の僧「寒山」と「拾得」のこと。寒山は文殊菩薩、拾得は普賢菩薩の生まれ変わりとされる。この石仏は1984年の大地震で崩れた石垣から発見された。文政年間の作で、光徳寺の和尚の手によるもの、あるいは石切職人の手によるものと言われている。風化が進んでいるようで、彫られた姿をはっきりと見ることはできない。
地震で出現したという石仏
唐の伝説上の二人の詩僧を描いた日本唯一とされる石仏です。石垣に使われていたものが地震で崩れて再び人の目に留まったというもので、彫は目を凝らさないと見えませんが不思議な感じを与える石仏でした。
寒山拾得
妻籠宿の街並みにある光徳寺の石段をあがるところに安置されている石仏。となりにはお堂や延命地蔵もあります。
石仏「寒山拾得」像
国内唯一とされる、石仏「寒山拾得」像が光徳寺の石段の下に安置されています。1984年の長野県西部地震で石垣が崩れ、その中から石像は発見された数奇な運命も持った石仏です。双体像は彫りが浅くなっていて見づらくなっている点は残念です。
光徳寺の延命地蔵のお堂と石仏『寒山拾得』像
石仏と延命地蔵のお堂がありました。 石に仏を彫り、『寒山拾得』像の説明が書かれていました。 臨済宗の光徳寺の石段がありかなり上がります。 妻籠宿は馬籠宿ほど整地されていなく自然さが結構残っています。 坂もずいぶん緩やかで平地のところもあります。 石仏と延命地蔵のお堂がありました。 石に仏を彫り、『寒山拾得』像の説明が書かれていました。 臨済宗の光徳寺の石段がありかなり上がります。