山と畑に挟まれた農道のような道を登っていくと畑側に明らかに人の手で加工された大石があります。これが鬼の雪隠。 反対側の山を少し上ったところには鬼の俎があります。 封土を失った古墳の石室の蓋石が鬼の雪隠、残った底石が鬼の俎ということらしい。 古墳はもともと双墓でもう一つの石室は割られて庭石にされていて、現在は橿原考古学研究所附属博物館で屋外展示されているとのことだったので、前日博物館で確認してきまし...
鬼の俎・雪隠は、謎の石造物に見えますが、実は古墳の石室の蓋石だと言われています。言われてみれば石室の上の部分が雪隠で、下が俎なんだとわかります。ただ、両者離れたところにあるのは、転げおちたのでしょうか。 やっぱり謎が多い明日香村です。
鬼が旅人を霧で迷わせ、捕らえて爼で料理し、満腹になったあとに雪隠で用を足したという言い伝えがある。 現在では、欽明天皇陵の石室の底石と蓋と説明されているが、何故現在の場所にあるのかは分からないそうです。 天皇陵のものとのことなので、文化庁が管理していて、黒い柵でおおわれていて、触ることができません。
散策道の上と下に石室の底石と蓋の石が分かれて在ります。上の底石は俎板のように、下の蓋石はひっくり返っているので雪隠のように見えます。
細い道路(軽自動車がやっと通れる程度)沿いに有り、少し遠いと思いますので自転車が一番良い乗り物です。割と標識も整っていて一度も迷わず(国営飛鳥歴史公園から)ここに来れます。鬼の雪隠はまさに巨石、確かに雪隠と言えばそう見ることが出来ます。道路を挟んで少し階段を上りますが、平らな石(俎板)を見ることが出来ました。元々は石室の底石と蓋石で646年に造られた葬令の規制に合わせて造られているようです。
歴史のロマンを感じます
山と畑に挟まれた農道のような道を登っていくと畑側に明らかに人の手で加工された大石があります。これが鬼の雪隠。 反対側の山を少し上ったところには鬼の俎があります。 封土を失った古墳の石室の蓋石が鬼の雪隠、残った底石が鬼の俎ということらしい。 古墳はもともと双墓でもう一つの石室は割られて庭石にされていて、現在は橿原考古学研究所附属博物館で屋外展示されているとのことだったので、前日博物館で確認してきまし...
鬼が使うとしても丸見えですね。
鬼の俎・雪隠は、謎の石造物に見えますが、実は古墳の石室の蓋石だと言われています。言われてみれば石室の上の部分が雪隠で、下が俎なんだとわかります。ただ、両者離れたところにあるのは、転げおちたのでしょうか。 やっぱり謎が多い明日香村です。
見事なネーミングですが、石室の底石と蓋との説が有力
鬼が旅人を霧で迷わせ、捕らえて爼で料理し、満腹になったあとに雪隠で用を足したという言い伝えがある。 現在では、欽明天皇陵の石室の底石と蓋と説明されているが、何故現在の場所にあるのかは分からないそうです。 天皇陵のものとのことなので、文化庁が管理していて、黒い柵でおおわれていて、触ることができません。
石室
散策道の上と下に石室の底石と蓋の石が分かれて在ります。上の底石は俎板のように、下の蓋石はひっくり返っているので雪隠のように見えます。
巨石が有りました。
細い道路(軽自動車がやっと通れる程度)沿いに有り、少し遠いと思いますので自転車が一番良い乗り物です。割と標識も整っていて一度も迷わず(国営飛鳥歴史公園から)ここに来れます。鬼の雪隠はまさに巨石、確かに雪隠と言えばそう見ることが出来ます。道路を挟んで少し階段を上りますが、平らな石(俎板)を見ることが出来ました。元々は石室の底石と蓋石で646年に造られた葬令の規制に合わせて造られているようです。